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パワプロを続ける精神は、狂気でなければならない

祝 ブログ創設一周年!

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のらりくらりとようやく一周年を迎えられました!

これも皆さんが支えてくださったおかげです!

 

ここで言葉をゆうなら...

 

ありがとう!そしてよろしく!*1

 

 

 

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「空」についての個人的見解

 

「空」とは五輪書の最終巻にあたる章である。

 

宮本武蔵著の五輪書によると、「空」は無知や空白といった何も無い状態ではなく、地、火、水、風を極限まで極めたことによって会得した「何も無い」状態である。

私的な解釈では、脳内、そして体の髄まで染み込めた状態だと考えている。

 

私はその「空」を体感したことがある。

私が教育実習で母校に行った時であった。

そこで、とある先生の授業を観察した。その先生は年老いた方だった。

 

だが、その授業は「空」を体現したようなものであった。

なんとその先生、授業計画なしに50分を見事にやり遂げたのであった。

その時私は思った。

 

これが「空」だと。

 

極めるというのは、それ相応の時間と鍛錬を積む必要がある。それが経験となる。

私も教鞭を取る日が来たのなら、これを胸に刻むと共に精進していきたい。

 

 

また、ラブライブ!サンシャイン!!の第2期の二話「雨の音」で、詞のコンセプトでメンバーが対立するシーンがある。

そのシーンで、登場人物の一人である国木田花丸が「無」と題した。

 

ここで私は感銘を受けた。

「無」は「空」とも通ずると。

 

まず、仏教的な「無」は、煩悩を切り払った波の無い静寂な状態である。

本来の意味では、無と空は別の意味である。

唯物論者は無いものは無だと割り切るだろうがそうではない。

 

ここで私的な解釈をすると、「無」と「空」は、唯物的に見れば無や空っぽかもしれないが、本質的には両者ともに境地へと達した存在である、という意味では共通しているであろう。

目に見えるものだけ追いかけていると、底知れぬ深淵に突き落とされるかもしれない。

 

物事を極め、境地に達した人間こそが、空であり、無である、と思う。

 

 

 

 

ちなみに本日5月19日は、ポル・ポトの生誕日です。

ポル・ポトは1928年に誕生しました。

 

え?ポル・ポトって誰だって?

ここでは書けないようなことばかりした偉大な指導者です。わからない人はググってね。

*1:m@sterpieceより一部引用