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パワプロを続ける精神は、狂気でなければならない

【ロッテ】榎本喜八 (1966) パワプロ2024-2025

今回は宝石のEです。

 

では能力

パワナンバ-:11300 30959 07868

 

榎本 喜八(えのもと きはち)

キャリア:早稲田実業学校高等部-毎日オリオンズ毎日大映オリオンズ東京オリオンズロッテオリオンズ西鉄ライオンズ 

成績:133試合 打率.351 24本塁打 74打点 14盗塁

 

オーバーリーチャー*1

それは頂点へ向かって登り詰め、それを極め過ぎた人物だ。

日本球界にも野球の極意を極め、頂にたどり着いた選手も少なくはない。その中でも彼は頂点をも通り過ぎてしまった男だ。まさに「オーバーリーチャー」という言葉に相応しい「天才」であったのかもしれない。

オリオンズ栄光ロードの昭和35年は彼もまた、全盛期の真っ最中であった。田宮謙次郎、山内、葛城と共に、世に有名なミサイル打線(ロウ)を中軸を担い、圧倒的な打撃力でオリオンズを10年ぶりの優勝へと導いた。が、チームを束ねていた西本監督が解任されてからは、その全盛とやらが徐々に崩落していった。山内、葛城のトレード放出、田宮の引退により、わずか数年で彼を残し、ミサイル打線が解体。

その遠因なのだろうか。彼の現役生活に陰りが見えるようになった。

39年に四年も続けた打率三割をわずかに切ってからは、己の打棒を見つめ直すべく、更なる打撃錬磨に傾倒することになっていった。その鍛錬の成果ゆえか、昭和41年、つまり1966年には打率を.351に乗せ、キャリアハイの成績を収めた。

だが、彼の全盛はそれまでであった。それ以降は少しずつ打撃成績を落としていった。

ちょうどこの頃合いだっただろうか。試合前にノックやバッティング練習もせず、ただただ坐禅を組み、試合に挑むといった奇行と称される行動が増えていった。それでもなお、成績が好転することはなく、自らの理論を証明できる打席につくための機会にも恵まれなくなっていった。

彼はさらに「道」にのめり込むようになり、それと相応するようにチームから孤立することとなった。現役生活晩年、ライオンズへ移籍することとなったが、彼の理論と成績には大乖離があったままであった。その年のオフ、彼は引退試合を開いてもらうことも無く、ユニフォームを脱ぐこととなった。

その道を往くのはまさしく「求道者」であった。が、打を極めすぎたゆえか、自ら壁を作ってしまった。

かつては打で栄光をもたらした「安打製造機」は、ついには打で自らの首を絞めるかの如く、没落し、もがき苦しみ、そして、ひっそりと球界を去った。

彼は真面目すぎた「オーバーリーチャー」だったのだ。

 

*1:直訳すると「背伸びした人々」の意