サムネイル画像は、巡礼した時に撮影したソレです。
本日11/18は...
「油小路の変」とは、京都の油小路で新選組と御陵衛士が衝突した事変です。
事の始まりは御陵衛士の頭である伊東甲子太郎を暗殺からでした。
暗殺に成功した新選組は、御陵衛士の残党をおびき寄せるため、彼の亡骸を油小路へ放置。その報を聞きつけた隊士を一気に粛清しようとします*3。
しかし油小路での抗争の際、加納道之助等の隊士を取り逃がし、完全殲滅は叶いませんでした。この些細な失敗が、後の近藤局長の襲撃、斬首へと繋がっていくのです。
ちなみに伊東甲子太郎の甲子と、甲子園球場の甲子は同じ意味です。
「甲子」と呼ばれる、十二支と*4十干*5を組み合わせた言葉から由来しています。
甲子とは、平たく言うと「干支の始まりの年」です。
非常に縁起の良い年とされており、人名や建物の名前につけられることが多いです。
伊東甲子太郎は、1864年の甲子の年に改名したため「甲子太郎」です。
甲子園球場は、1924年の甲子の年に出来たので「甲子園」となりました。
ちなみに次の甲子の年は、2044年です。
ちょうど甲子園が120歳、つまり2回目の還暦を迎える年です。
わかりやすくて良いですね。
藤堂平助も、史実ではこの油小路で命を落とします。
薄桜鬼プレイしてる時、それがどうなるか、ハラハラしちゃいました。
その経緯もあったので、平助きゅんも推しちゃいたくなったのです。
おしまい。